Written by Taichi Inoue
北の海で船が沈んだ。
わたしたちはみな船のうえ。
波の荒さに耐えかねて、船は形を変えるという。
変わらないのはその旗だけ。
美しくて、懐かしい、愛おしくて、呪いの、旗。
誰が船から降りられようか。
誰が船旗を手放せようか。
みんな知っている。船はもう戻れない。
港にも。あの日にも。
わたしたちはみなテセウスの上。
冷たい北の海に沈んでいく。
変わらない旗を抱きしめて。
抱きしめられ、沈んでいく。
沈んでいくあなた、テセウスのあなた。
わたしはあなたを見て泣いた。
わたしはわたしを見て泣いた。
沈んでいくわたし、テセウスのあなた。
北の海は冷たいから。その旗できっと暖めてね。
目を閉じた。あぶくが漏れた。
暗い海の底、牙を剥いていたのは。わたし。