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Creative Writing Short story Taichi Inoue

或る奴隷の道徳 (The Morality for A Slave)

この胸に抱えた秘密をさらけ出してしまえば、記憶に満ちるインクの汚れも、禊落すことができるだろうか。足枷の鍵を彼から返してもらうことができるのだろうか。私の罪は、誰かに裁いてもらえるだろうか。誰にも裁いてもらえないだろうか。

Written by Taichi Inoue

この胸に抱えた秘密をさらけ出してしまえば、記憶に満ちるインクの汚れも、禊落すことができるだろうか。足枷の鍵を彼から返してもらうことができるのだろうか。私の罪は、誰かに裁いてもらえるだろうか。誰にも裁いてもらえないだろうか。答えを聞こうにも、唯一私を裁くことができる人の命は彼本人の手によって、その言葉は私によって、昏い炎の底に沈められた。

 同僚や友人、家族たちは口をそろえて私の物腰の柔らかさや、誰にでも優しい性質、皆が親しみやすい姿勢を無暗にほめたたえるがそれは違うだろう。私はもとより気弱で自分に自信がないからそういう風な態度をとってしまうだけなのだ。私が社会環境省の高官になったんだから、という理由で褒めてくれる人間もいるが、それも違う。男女雇用昇進均等法の追い風を大いに受け、その席を埋めるためだけに補充された人間に過ぎない。そうでなければ私のような優柔不断で無能、なんの役に立たないただの小役人が他の有能で聡明な女性を尻目にこの席に座ることなど到底かなうことはない。男性が足りなかったゆえの穴埋め要因だ。私自身の実力ではなく、形骸化した男女平等にこだわる「道徳」が今の自分を作り上げていると考えると、心底悔しい。

 そんな私には胸に一つ抱えた秘密の罪がある。社会がそれを罪と認めるかは定かではないが、私にとってそれは確かに禁忌であり、私の墓までもっていくことになるであろうものだ。

 私には友人がいた。サワザキという男だ。おおよそ勉強と呼ばれる類のものは難なくこなしていたが、唯一つ道徳の成績だけがからっきしという何とも奇怪な奴だった。「道徳」なんて、授業で思ったことを話せば良いだけで、たくさんの座学も試験の対策も要らない教科なうえ、「道徳」の成績が取れない「不道徳」な人間なんてこの世の中に不必要だという事実くらいは認識していただろう。
 彼はさながら異端の宗教を狂信するかのようであった。「道徳」という共通解を皆で導くだけなのに、やれ現実的でないとか、物事の本質を無視しているとか、ダブルスタンダードだとかと、噛み付かなければ気が済まないというようだった。
 もちろんその待遇も異端論者のそれとは変わらない。いくら学問ができようと、人が人としてあるべきものが失われているのだから、周囲の人間は彼を野蛮で粗暴、非倫理的な人間だとして扱った。「道徳的」で、できたクラスメートたちはこぞって彼の啓蒙を買って出た。説得や譲歩などの手法で彼を諭したこともあったが、もっぱら用いられる手段は攻撃的なものであった。そのプロセスで彼の名誉や自尊心を損なわせるような言葉が発せられたり、身体を傷つけることがあっても、それは「道徳」の名のもとに、そしてその達成のために行われる啓蒙なのだから、しかるべき処置と呼ぶべきだろう。
 そしてなぜだろう、奇妙な縁ではあるが、私はその野蛮な異端論者と仲が良かった。倫理観がないと言えばそうなのだが、その面に目を瞑れば、博識で聡明な奴だったからだ。私が「道徳心」に篤くなく、彼を無理やり啓蒙することがなかったのも一因だったかもしれない。しかしながら、やはりサワザキは「非道徳」な奴で、そんな奴とつるむのにはうしろめたさを覚えた。「道徳」に信心深く、サワザキを毛嫌いする人たちから目の敵にされるかもしれないという心配もあった。

「やっぱり、僕の話をこれだけ聞いてくれるのは君しかいないよ。親類も含めて、ね」
サワザキはいう。自虐をしているというのになぜか自慢げだ。
「ただ聞いてるだけだけどね。言わせてもらうけど、そんな考え方、僕ならしないな。そんな奴もいるのは分かるけど、きっと周りのみんなはそうじゃないだろ?」
これは私の常套句だ。私は彼を拒絶することも、受け入れることもできなかった。
こんなやり取りを何度しただろう。そのたびに彼は、
「そんなことは分かってるよ。別に僕の考えを押し付けようとか、そうしてもらいたいとかじゃないんだ。いろいろな考え方があったっていいだろ?みんなも「道徳」の授業で習ったことだ。」
皮肉にも自分が落ちこぼれた教科の内容を引用しながら、これまた自慢げにクスクスと笑うのだった。彼は私の優柔不断さを好いていた。
「僕は君が好きなんだよ。僕に無理やり考え方を押し付けようとしないだろ?そういうところがいい。別に考えかたとか、何を大事にするかとか、違っていたって友達になれると思うんだけどなア」
 それはそうだろうが、もう少し周囲の人達を大事にしたらいいのに。とも思った。あんなに熱心になって「道徳」の何たるかを教えてくれているのに。声には出さなかった。言うと私たちの間にある真珠のような何か大切なものが失われてしまう気がしたから。彼の整った顔が、その時だけすごく物憂げになるからでもある。私は、彼が私だけに見せる自慢げで、飄々とした表情が好きだった。

 彼と出会って、一年が過ぎ、二年が過ぎた。特に積極的でもなく、人気ものでいたいわけでもなかった私は、この異端者との何とも言えない関係をずるずると続けていた。一方で彼は、啓蒙というべきか、教育というべきか。熱心で「道徳的」な人たちから何度拳を食らわせられようと、孤独な信仰を狂信し続けたのであった。
 卒業を目前にしたある日のことだ。その日は彼の誕生日であった。
「今日、僕の誕生日なんだ。知ってた?」
「知ってたよ。これで3年めだろ?お互い金欠なんだから。ジュースか何かで勘弁してくれな」
「いいや。何かが欲しいとかそういうアピールじゃないんだ。その……少し、聞いてほしいことがあってさ」
 サワザキと私の間に、奇妙な時間が流れていた。--何を言いたいんだ?蝋燭が融けるのを待っているかのようだ。蝋は粘るように滴りあまり時間の経過を感じられたものではなく、ただ小さな灯が放つエネルギーが、二人の間の空気を熱した。
 やがて、彼は口を開いた。掠れるような、絞り出すような声だった。
「ぼ、僕は、君のことが……その、好きなんだよ。知ってるだろ?し、知ってた、だろ?」
聞きなれたセリフを、あんまりにも溜めて言うので、拍子抜けだ。
「知ってるよ。僕は君の考えを否定するつもりはないってそういうところが、だろ?」
再びじりじりとした時間が流れる。
「違うんだ。いや、そうなんだけど、それがもともとの話なんだけど……」
サワザキはさらに言い淀んだ。
「僕は君のことが好きなんだ。友達としてではなく。ほとんどの男女がそうするような感情を僕は、僕は、いま君に抱いてる。おかしいよな。ハハ」
ほとんど一息で言い切ったため、擦れた笑いごえは咳のようで、聞き取ることができなかった。
「それはつまり、君は男である僕のことを、恋愛対象として見ている、ってコトか?」
こんなことを二度も言わせるのはいささかナンセンスなのだろうが、そうせざるを得なかった。
「ダメ……かな。付き合って、欲しいんだ。もう高校生活も長くないから。ずっと君と一緒でいたい」 
今度は私が長い沈黙を作った。
「……悪いけど、付き合うことはできない。僕は異性愛者なんだ。でも、素敵なことだと思うよ。LGBTって。僕はそうじゃなかったけど、きっと将来……」
言い切る前にサワザキが泣きだしそうになりながら勢いよく遮る。
「何が素敵だ?授業でそう習ったからそんな酷いこといったのか?」
サワザキが迫り、私の胸倉をつかんだ。シャツがわやになる。
「やっぱりそうだ!君もほかの奴とおんなじだ!何も現実を見れてない!実らない恋愛の何が素敵なんだよ?虹色も玉虫色も大して変わらないな!」
 野蛮人としていくら不遇な扱いを受けても屈しなかった彼が、これほどまでに激情をあらわにするところを初めて見た。
 返答を待たずして彼は駆けていった。追いかけようとしたが、にわかに吹いた冷たい風は、それができないことを大声で伝えてくるようであった。
 サワザキはそれきり学校には来なくなった。

 彼の自殺を知ったのは、卒業後のことであった。在学中に命を絶ったようだったが、先生からそのような通達は来なかった。卒業後に届くようにと配達されたのは一通の手紙である。
 それは遺書のようであった。

 「他人行儀な挨拶は僕らの間には似合わないね。まずは謝りたいんだ。あの日、あんな態度で帰っちゃって。もっと冷静でいたかったけど、あんな経験初めてだったから。意味不明だったろうし、怒ってるかもしれないね。だから、本当にごめんなさい。でもどうしても好きだったんだ。僕の言うことを聞いてくれて、人として見てくれるひとは君が初めてだった。他の奴はみんな「道徳」の奴隷さ。それしか見えないんだ。だから「道徳」のためだったらどんな非道徳な行為もできるんだ。「啓蒙だ」ってね。僕が自殺したのは君のせいじゃない。そんな奴隷たちに嫌気がさしたからだよ。だから安心してほしい。地に足のつかない「道徳」が先走って、みんな本質を見失っている。そんな人もいていいと思うけど、その寛容さを持っているのは、本当に道徳的なのは、どうやらこの世界に僕と君だけらしくて。こんな世界に生きていても仕方がないだろ?
 今度生まれ変わるときは、奴隷のいない世界にうまれたい。いろんな考え方があって、みんな野蛮だけど、それを認めながらも必死に正しくあろうとする世界にうまれたい。そんな世界で、君と一緒になりたい。僕はもう行くけど、君だけはどうか道徳の奴隷にならずにいてくれ。」

 私はこの手紙を結局焼いてしまった。これを公開することで、彼は同性愛者として彼の望まない扱いを受けるだろう。道徳の奴隷に、彼の想いを理解することはできない。せめて、彼を理解してあげられる私だけのものとして、ドラム缶で火葬をした。
その後の人生だが、私は結局道徳の奴隷でいるしかなかった。彼のように強い人間でいることはできなかった。私はこの世界を支配するゆがんだ正義を、そして本物の道徳を彼から教わったが、私自身はあまりに非力で、それにすがるしか生きるすべはなかった。
 もしかしたら彼もそうだったのかもしれない。「道徳」の仮面をつけた善意の悪魔に逆らうのは、彼にとっても恐怖でしかなく、だからこそ私という理解者を必要としたのかもしれない。真実は炎の中にしかないのだが。
 私の罪は、道徳の奴隷でいることそのものだ。この罪をどうすれば償えるだろうか。そんなすべはないだろう。私がつけている足枷の鍵を持った人間はもうこの世の中にはいないのだから。私の罪を裁くことができるのは道徳の奴隷などでは決してないのだから。

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